Marin7016’s diary

どうでもいいような日記が投稿されます。笑ったりしてくれたらうれしい限りです。ふじこふじこふじこ

失敗してやるんだから!!???

 私はみんなが成功するようなことでも失敗する。「誰でも簡単に出来る」が出来ない。わかっていたとしても、心配になり失敗する。メンタルはボロボロである。

 そんな私もこのメンタルを出来るだけ傷つかないようにしいてる。どうやっているかって?失敗しそうなorした時に「簡単に出来ることがみんなが出来るとは限らないことを証明した第一人者であり、これから皆気兼ねなく失敗することが出来るであろう」と考えるようにしている。自分の成長のために失敗してやったんだと思うようにもしている。ただし、それだけだと私の心は不安定になる。だから、「誰かのために」と考えることでどうにか平常心を保っている。そうしなければ、ガラスのハートがたちまちギタギタだ。

 反省し対策することは大事である。しかし、必要以上に心を追い詰めるのはいけない。表面上は申し訳なさなど誠実な対応みたいなものは最低限出そう。しかし、心の中は追い詰めるのではなく正直にいよう。嫌いだったら心の中で悪口などを言ってもいい。しかし、上記に書いた通り自分の悪い所は反省し対策するようにはしよう。

 私自身大変ポンコツである。失敗続きで不貞腐れもする。しかし、生きている以上不貞腐れるだけでは生きてはいけないだ。皆様も沢山ストレスがあると思う。どうにかメンタルを保つ方法を見つけ、少しでも軽減できるように生活を送ってほしいものだ。

紙粘土と耳〈思い出日記シリーズ〉

私は昔から頭のおかしな行動をしていた。それは今も相変わらずだが、その中の一つを紹介する。

 小学校3年生の頃、紙粘土の工作にハマっていた。色んな作品を作っては親に見せていた。ある日おかしな好奇心が働いた。

「この紙粘土耳にいれたらどうなるんだろう」

今思うと頭が狂っているとしか思えない考えだ。少し考えれば結果も分かりきっている。しかし、今も昔も私の頭は足りていないのである。そして、いざ挿入!!!最初はなんともなかった。しかし、その後の対応が悪かった。そのままにして遊んだのだ。耳に紙粘土を入れているというドキドキを味わいながら遊ぶことで一層スリルがあり楽しかった。そして取り出す。皆様ももうお分かりだろう。出ない。入れる量が阿保だったのだ。耳穴にたくさん入れたのだ。焦った。しかし、外からは見えない大丈夫だと思った。不安もありながら、数日が経った。

 数日経ったころ、予定表にビックイベントの文字。そのビックイベントは身体検査。体重だけとかだったらよかった。しかし、耳の穴を見ることも確定していた。その時、私の耳の穴には緑の紙粘土。医師の立場になって考えてみて欲しい。耳の穴を見ると得体のしれない緑の固い物体。きっと医師も焦るだろう。どんな病気か。私も恥ずかしくなった。みんなのいる中で耳の穴になにかあることを焦っている状況を同級生から見れれると思うと不安が募っていく。そして、母に言う決心をした。

 母に打ち明けるにあたって、ありのままに話せばいいのに抵抗があり恥ずかしかった。そのため作戦を立てた。作戦はこうだ。母に耳かきを頼み異変に気付いた母が耳鼻科に連れていってもらい無事摘出という作戦だ。結果その通り進んだ。寝台に寝っ転がり帯で縛られた状態で摘出。まるで俎板の鯉だったであろう。その時の母の笑顔は今も忘れられない。しかし、その後に問題が起こった。「誰がなんのために入れたのか?」だ。言えなかった。好奇心で入れましたなんて。その結果、姉に濡れ衣を着せた。その後、家に帰り姉の尋問が始まった。姉は心あたりがない。それはそうだ。入れたのは自分なのだから。ばれるのが嫌で、うやむやにした。現在は真相は明らかになっている。

 子供というのは大人には考えられないような行動をする。親御さんでこの記事を見ているかたは是非気を付けてほしい。

お題「わたしは○○恐怖症」

 私は「普通・適当」恐怖症だ。

 みな考え方は違う。捉え方などもそうだ。だからこそこの言葉が嫌いであり、恐怖の対象なのだ。ちなみにこの言葉とは「これ適当にやっておいて」や「普通にやったらいいよ」だ。この言葉で沢山苦しめられたのだ。これを受けて作業をする。「普通・適当」にだ。作業をした結果「ここまでやらなくてよかったのに」や「もっとやっていて欲しかったのに」など言われてきた。もう意味が分からない。また自分の捉え方があっているが不安になる。最初から聞けと言われると思うが、細かく説明しろよと思う。上記に書いた通り人の考え方は違う。その為、基準が違うのだ。だからこそ、普通や適当などと説明を省かないでほしい。こちらも分からなかったら聞く努力はもちろんする。しかし、口下手の為うまく聞けない。そのうえでだ。100%は言わないが、せめて85%ぐらいまでは説明してほしい。きっとこの恐怖症は直すことは不可能に近いかもしれない。だからこそ、こんな人もいると思って説明してほしい。そうすると、ミスも減りストレスも減ると思うのだ。そして、この恐怖症も緩和すると思う。この記事を心の隅に置き誰かに説明する時は少しでも思い出してこのようにしていただくと嬉しい。

 

今週のお題「あったかくなったら」

 あったかくなったら、最初に春服を着まくることだ。私の体感では春と秋が以上に短い。その為、春服と夏服のもとを取れていない。つまり、着ることが出来ていない。来ても寒暖差が激しいのでアウターで隠れてしまったり、脱いでしまうのだ。太陽と風の戦いが毎年繰り広げられているのだ。彼らは加減を知らないのかもしれない。おしゃれは我慢だという。全くその通りだと思う。私は彼らに負けないように頑張っている。汗をかきまくったり、時には鳥肌を立たせながらも私、そして服をベストに着こなせるように頑張った。しかし、毎年敗北するのだ。今年こそはあったかくなったら、春服を着るのである。

水たまりトラップ〈思い出日記シリーズ〉

 今は亡きペットの犬。最後の1年位から認知症の進行が速かった。その為、何度も同じところを徘徊したり、おしっこもトイレットシートの上ですることが出来なくなっていた。

 今も抜けない癖がある。床を見ることだ。上記の通り、犬はどこにでも排泄するようになってしまった。その為、朝どこにしているか探した。なんとも悲しいことだ。しかし、私は犬に聞きたい。悪意はないとわかっているが、なぜに人の動線に排泄する?私と母は幾度もなく小便を踏んだ。そのたびに、雄たけびを上げた。決して犬を怒っているわけではない。ただの悲鳴だ。その為、床見る癖が付いた。しかし、踏むのだ。私のベットの足元と部屋の入口にトラップが引かれているのだ。そのたびに足を洗う。しかし、また踏むのだ。よくそれを繰り返した。また無色で見分けがつかないときもある。なんとも悪質なり。きっと寂しがりやな所は私に似たんだろう。しかし、認知症とは言えイラつく時もあった。出かける手前でトラップがあることがあるのだ。その時ばかりは殺意が沸いた。しかし、しょうがないのだ。隣には徘徊犬がマイベットに横になりながらなんとも言えない目でこちらを見ているのだ。よく犬に向かって「トラップ犬が許さぬぞ!!!!」笑いながらと言っていたものだ。

 認知症の犬の世話は大変だ。この小便に関しては床がたくさん腐った。戸建だからよかったもののマンションとかだったら大変だっただろう。沢山イラつくこともあった。しかし、家族の繋いでくれた私の家のスフィンクス兼天使だったのだ。沢山の思い出をくれたのだ。ありがとう。私が三途の川を通るときにトラップを仕掛けていないことを祈るばかりである。

 

100均のマルチシェイカーの感想

 ※私個人の体験の感想なので、参考の程度に

 最近ダイエットを始めた。その過程の一部としてプロテインを取り入れた。プロテインを飲むに当たって驚いたことがある。私が飲むプロテインは水分に対して溶けきれるかわからないぐらい入れる。説明文を読んだとき、実際に作ったとき本当に合っているか心配した。

 プロテインを作るうえで大事なのがシェイカ。今回のことを通してシェイカーの良さがわかった。最初はシェイカーのことが分からず、100均のシェイカーでいいかと考え購入。使ってみると、溶けきれてないのだ。私の手順や振る努力が足りないと言えばその通りなのだが、だまになるのだ。私は悩んだ。振る時間や力を使ったり、ちょっとずつ溶かしてみるなどした。しかし、だまになる。そして思い切ってサバスのシェイカーを購入。結果、溶けるようになり飲みやすくなった。それもだいぶ。

 今回の件で、高いものを買えとは言わないが、安いものを選びすぎるのもよくないと学んだ。安いに越したことはないが、シェイカーに関しては結構差があった。ドレッシングなどに使う分に関してはよい性能だと思う。しかし、プロテインだとだまになり飲みにくい。100均一を使うのもいいが、個人的にはおすすめしない。高くなくてもいいので500円程度のものがいいと個人的に思う。

獣になったペット〈思い出日記シリーズ〉

 私の飼っていたダックスフンドは臆病で初対面の人にビクビクしていた。その為、母の後ろによく隠れていた。しかし、触れ合えば懐き、むしろ見下すくらいになる。私と似て内弁慶な犬であった。

 そんな私の犬なのだが、一回だけ獣に目覚めた時があった。私が中学生の頃、登校時に母に車で送迎してもらえることになった。時間になると、友達も来る。この友達は犬を含め動物が怖いと感じる人だった。チャイムがなり、登校するためドアを開ける。その時も犬は後ろにいた。犬を外に出す予定はなく、通常であったら人を見たら引っ込んでいくかドアから出ないように徐々に狭めて閉めていく。しかし、その時は違った。友達が見た瞬間逃げたのだ。それを見た犬は獣の血が騒いだのだろう。狭い隙間から通り抜け友達を追いかけたのだ。あの臆病な犬がだ。私たちは一瞬あっけにとられたがすぐさま犬を追いかけた。他人から見たら、危ない光景であったであろう。その後は無事捕獲し、友達も無傷だった。

 マナーと友達には悪いが実に面白い光景であったと今は思う。犬があんなに獣になったのがあれで初めてで最後だったからだ。なんとも気高くまるで闘いに赴く戦士の顔つきだった。ともに学んだことが一つ。動物に対して背中を向けて逃げてはいけないということだ。臆病なものも相手が逃げ腰だと追ってくるのだ。なんとも恐ろしい。だからと言って戦えとは言わない。場合に合わせた対処をしよう。選択肢がないときは、逃げるか戦って死ぬかになる。人間は必ず死ぬ。死因がそれっだっただけのこと。皆様もぜお気をつけて。

 

※フィクションあります